2013年1月5日土曜日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。振り返ると昨年は激動でありました。結婚することが決まって、引越し、入籍、同居、結婚しました。

結婚式では沢山の方々からお祝いのお言葉をもらって、家族、友人、仕事での同僚に助けてもらって生きてこられたのだなぁ、と実感した次第であります。改めてありがたくて運がよかったのだと。


今年の目標を、と年末年始考えたのですけれども、パッと浮かんでこなくてうんうんと考えこんでしまったのであります。なんとなく、あれやってみたいこれやってみたい、ってのはあるんだけど、全力で行動するほどのモチベーションも湧かず。

「今年はこれをやるぞい!」みたいなのが浮かんでこないことは、とても由々しき事態なんじゃないかと焦ったりもしたのですけども、まー、ゆっくり考えることにしたいなと思います。


せっかく鎌倉に住んでいるわけですから、鎌倉での生活を記録しておきたいなー、と思ってますのでもうちょっとこまめにブログを更新したいと思います。



写真は初詣で参った地元秋田の八面神社。色々とおねがいごとをしてきました。健やかに過ごせますように。

2012年11月13日火曜日

福島に行ってきました

結婚式から一週間後の土日休み。奥さんのおじいちゃんに会いに福島に行ってきました。

福島から伊達市に向かう途中、作付していない田んぼが目立ちました。去年は放射能が検出されたこともあって、今年も植えていないところも多いそうであります。

義理のお母さんのご実家ではおじいちゃんとおばあちゃんが農業を営んでらっしゃった。震災があって、おじいちゃんが倒れたりして、大事に育てて来た桃の木をきったりした。

僕らが式を挙げる直前、式までもたないかも、、、みたいな話もあって、結婚式を中止することも視野に入れていた。


おじいちゃんは、病院のベッドで人工呼吸器をつけて、見えているのかわからない目を開けて、瞬きをする、右手の親指を動かす、くらいしかできないのだけど、孫娘が旦那を連れてきたことはわかるようで何度も何度も瞬きして、必死で何かを伝えようとしているのはわかりました。なんとか元気になってほしいなって思います。


福島の新聞の一面はだいたい原発がらみの記事だし、いたるところに線量計はあるし、出会うと人と話すと地震と原発事故のことだし、こうしたことに無関心であってはならない、と心では思いつつも、

大事な情報をインプットせず、何か行動していたか?と言われても何も言い返せない自分がなんとも情けなく、色々と考えこんでしまったわけであります。

福島にはこれから何回も行く事にしました。




結婚式をあげました

11月4日のとっても天気の良い日に結婚式・披露宴をしました。7月7日にすでに入籍して一緒に住んでいたわけですけれども、改めて、お世話になってきた方々の前で言挙げしたわけで気持ち新たになりました。

 二人で一生懸命、それぞれの両親、友人を大切にしながら生きていきたいと思います。

あとね、ムービーにコメントくださった、ゴマシオキッチンのご主人のアドバイスを大事に、3つの袋を大切に生きていきたいと思います。

いやぁ、たのしかった!

2012年10月21日日曜日

考えながら手を動かすのは難しい

結婚式の準備をしています。奥さんのお手伝いで、布を切るとかアイロンを掛けるとかやってるんですけど、ちょいちょいミスって奥さんから怒られたりしてます。すみません。

最初は、「来てくれた人が喜んでくれたら」とか「一人ひとりの顔を思い浮かべながら心を込めて」とかやってたんですけど、そんなことを考えながら作業していたら、手元の作業手順をすっ飛ばしてしまったのであります。

テレビやなんかで熟練の職人さんが「使ってくれる人のことを思い浮かべながら」とか「食べてくれる人を考えながら」とか言ってるのを見ますけども、

何かを考えながら作業するということは、何年、何回もの反復によって手順が身にしみた人にしかできない技なのだなと思った次第です。


喧嘩ばっかしてますが、なんとか楽しい結婚式を迎えたいです。

2012年9月16日日曜日

いろいろと忙しいですね

半期の終わりということもあって、ちょっとお仕事が忙しいです。というか、少し無理してでもがんばらなくちゃというフェーズですもんで、自分や案件を手伝ってくれてるSEにも負荷がかかっている。

まー、がんばるしかないので、タスクこなしマシーンとして、あまり考えないで頭と手を動かすほかないのであります。


で、いま一緒に仕事をしているSEさんってのが3年目の若い子でして、彼がとてもいい。スキルも経験もまだまだ足りないけれど、実直でまじめなので信頼できます。頼り切っていると言ってもいい。

もちろん、彼もまだまだなので周囲の優秀な先輩にフォローされながらがんばっている姿を見ていると、営業の俺もがんばろうと思うのであります。だいじょうぶ、本当にやばい感じはしないから、10月のサービスインは問題なくむかえられるよ。


社会に出て、ただただひたすらに必死な時期があって(一応わたしにもあったよ)、その後の何度かの転職だとか人生の積み立てで、それなりに経験値を稼いできたつもりだけど、必死だった頃って思い返してもつらいのだよね。

体力的にも精神的にもつらかったし、何よりもイタかったと思うのです、ださかったと思うんですよ。働き始めて2〜3年目の若造が偉そうなこと言ってたわけで、この歳になってみて、後輩の若い子ちゃんがくそガキみてーなことゆってるのを見ると、あー、力不足がいきがるってこんなにかっこわるいのかとわかるわけですな。


もう少しがんばっていい仕事したね、って一緒にやってる若い子ちゃんに言ってあげたいです。

2012年8月29日水曜日

大好きな喫茶店に行ってきましたよ

秋田県は美郷町、湧水で有名な六郷にゴマシオキッチンというとっても素敵な喫茶店がありまして、秋田にいる頃から大好きで、また上京してからも帰省のたびに立ち寄らせてもらっていました。

ゴマシオキッチンさん
http://gomashio-kitchen.net/

秋田県内情報誌かなんかで見つけて行ってみたんですけど、お店の前に掲げてあった黒板に「コーヒーと恋愛がともにあればいい」なんてサニーデイサービスの歌詞が書いてあってここは間違いないなと確信したのでありました。


先週末に大曲花火大会を観覧しに秋田に帰省した際に、奥さんと一緒にお邪魔してマスターといろいろとおしゃべりしてきました。僕の奥さんもゴマシオさんのファンであります。

そのとき、マスターが重要な指摘を2つしたので忘れないようメモしておこうかと思います。

1つは、「マスター手書きのコースターが卑猥です」みたいな話を私の奥さんがしたとき。
(下の画像参照のこと)



「たいていの女の子は卑猥なことよろこびます」みたいなことゆってて、あー、この人は本当に楽しい人だww と思ったのであります。いやほんと、真理。


もう1つは、常連さんがとてもいい人たちばっかりでとても素敵ですね、なんて話をしていた時なのだけど、マスターが

「言葉は悪いかもしれないけれど、本当によくきてくれる常連さんはどこかガラクタみたいなところがあるんです」みたいなことをゆっていて、確かに私もガラクタだわー(笑)、なんてめちゃくちゃ笑ったんだけど、あとあと、とてもすごいことをおっしゃっている、と思ったのであります。

これはですね、カルロ・ギンズブルグが指摘したような「欠けている物語の主」みたいなことと通じる話だと思ったんですね。
(参考)http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0056.html

物語の主人公や英雄はどこか欠けている。すでに傷を負っていたり、めちゃくちゃ強いけど決定的な弱点を持っていたり。けれども、欠けていることが主人公として語られるための条件である、みたいな。童話とか神話とか物語を思い返してみると確かにそう。桃から生まれてみたり、身長が一寸しかなかったり、じいさんにこぶがついていたり、アキレス腱が弱点だったり、隻眼・隻腕だったり、どこか不完全。


物語の主人公ではないけれど、六郷にある喫茶店はそんなガラクタみたいな人たちが心地がよくて集まるところなのだろうと思われます。

喫茶店のマスターと僕は年齢が一緒で、常連さんもその近辺の世代が多いと聞きましたけども、それなりに生きてきたので心や体に何らかの瑕疵を持っていて、抱えていたり乗り越えたりしていて、

それでも、まだまだ一人前にはほど遠いことを自覚せざるを得ない狭間にいる世代なのでしょう30歳前後って。そして、それなりに自分の弱さだとか負の部分と向き合ってきたことがある素直で弱くて強い人たちでもあると想像するのであります。


僕がゴマシオキッチンさんに魅かれる理由はもうちょっと単純で、いつかの昔に、こんな風なことできたらいいなーって夢想したことを実現してらっしゃって、ちょっとうらやましいし、何よりもコーヒーがおいしい。


2012年8月19日日曜日

別れ際について

長い長いお盆休みをいただいていたのですけれども、その期間中、小学校からの友人のお父様が亡くなられた。具合が悪くて入院している、とは聞いていたのだけれど、まさか。。。という報せであった。

友人とは部活が一緒だったことや、大学生時代に家が近かったこともあり、10代から20代にかけての境目の時代に一番多くの時間を共有した友人と言えると思う。

仕事で参列できない父に代わって火葬にいっていきた。大学を卒業してからは疎遠になっていたのだけれど、何年ぶりかの友人との再会がまさか火葬場とは思ってもみなかった。

友人は、父危篤の報を受け、急ぎ東京から秋田の病院に駆けつけ、病院の中をダッシュして父の死に目に間に合った。

一方、彼が病院内を走っていた頃、ベッドを取り囲む親族の方々が「すぐそこまできているから、どうかまだいかないで!!!」と叫んでいた。いったん止まりかけた心臓が最後の力を振り絞って息子が到着するまで動いたのだそうだ。

父や母に代わって、どうか穏やかに休んでくださいと手を合わせてきました。


亡くなられたお父様はご出身は山口県で、秋田に婿にこられた。生まれ育った土地からはなれた場所で死ぬという気持ちはどんなのだろうかとか、考え込んだ。