2012年2月19日日曜日

継続して支援をしていくこと

2011年3月11日の東日本大震災で発生してしまった悲劇に際して、自分は何ができるものかと考えこんでしまうことが多くありまして、直接的にできることはないなら支援する人を支援する、と心に決めて、

早稲田大学大学院の講師である西條剛央さんが立ち上げた「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を通じて毎月ちょっとずつだけれど寄付を続けています。

『ふんばろう東日本支援プロジェクト』


その西條剛央さんが本を出版されました。




支援している人を支援していくことを継続していきます。本はこれから読むのだけれどもー。自分なりの、人を助ける仕組みを作ってまわしていけたらと思っているのです。

2012年1月22日日曜日

筆跡

実家の秋田に住んでいたときから、同じく秋田に住む方のブログをちょこちょことお邪魔して読んでいます。文章を読んでいる限り、たぶん私と同じ頃に東京から秋田へと戻った方。

泣いた“なまはげ”の天気読み

天気読み、いかにもでしょう?


ブログにおばあちゃんの手紙の写真が載ってまして、いい筆跡だなぁと眺めていて、ふと、私は祖父母、両親の筆跡を思い浮かべることができないことに気づいたわけであります。

父さんや母さんはどんな字を書くのだっけか?最近父さんが書いた文字を見たのはいつだ?本家のじいちゃんが亡くなられた時、香典袋に書いた名前だ、とか。

なんとなくだけど、これは由々しき事態じゃないかと思ったのでメモ程度に。

2012年1月4日水曜日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。しばらく放置していたブログですけれども、今年はなるべく書いていこうと思います。特にテーマがあるでもなく、世の中のためになるようなことをポストするわけでもなく、ただただ、自分が日々思ったことを綴り自分の気持と向き合う自己カウンセリングな場となる予定です。既にそうか。

2012年をどうしたいか、というかを考える前に2011年を振り返りたいと思います。3大ニュース的に。

◆東日本大震災

3月に東日本大震災が起きました。直接的な被害を受けたわけではないものの、たぶん今のままじゃいけないのだろうし、なんでこんなことになってしまったのか?ということがたくさんあって混乱しました。メソメソしました。

なんでこんなにメソメソしているのか自分でも考えこんでしまったのだけれど、同時代に生きるたくさんの日本人の命があっという間に失われてしまったことがただただ悲しかったのだと思います。

地震と津波で起きた福島第一原発の事故も同様であります。いったい自分は何に加担していたのか、乗っていた/乗っている船は一体なんだったのか。議論できるようになるまで勉強しておきたいです。とりあえず、日本のエスタブリッシュメントみたいな人達はあんまし信じないことにしました。


◆東京に戻りました

秋田から東京に戻って働くこととなりました。呼び戻してくれた友人に言葉では表し切れない感謝と変わらず迎え入れてくれた友人たちに嬉し涙が出る日々でした。これから恩返しをします、なんと言われようと必ず。そのために働くのだと言ってもいいくらいに。


◆プロポーズしました

3年半遠距離恋愛していた女性にプロポーズしました。本当に長かった。苦しくて吐きそうになる日もありましたが、そんな辛いことも既に忘れかけているから不思議なものであります。



自分が納得できる生き方ができるように2012年は少しばかりラディカルに突き詰めていきたいと思っています。

2011年9月12日月曜日

大曲の花火に行ってきました

先月、大曲の花火、全国花火競技大会に行ってきました。 http://www.ldt.co.jp/hanabi/

2008年から数えて4年連続で桟敷席での観覧。高校卒業まで過ごした18年間で大曲の花火を見に行ったことはなくて、20代の後半でその素晴らしさに度肝を抜かれて、すっかり大好きであります。花火のこと、好きになりました。

今年は、プロポーズした女の子と両親と4人で花火を見に行ってきたよ。お盆に帰省したときに、両親には女の子のことを伝えてあった。両親も女の子も仲良くしてくれて、ほんとうに嬉しかった限りであります。これから先の光景が想像されました。

天気にも恵まれて、花火もやっぱり素晴らしくて、桟敷席だと自分の視界に収まり切らない縦横のスケール比で花火が打ち上がるからなんだか焦点が合わない感じがします。一発一発がとても素晴らしくて胸打つのだけど、焦点が定まらないからディテールが定着されないというか。けど、全体の印象として圧倒された感が残る。

大曲の花火が終わると、秋田の夏も終わりだねー、みたいな空気感になるので、まー花火っぽくていいかー、と思います。

父は30年ぶりに、母は初めての大曲の花火。二人とも楽しんでくれたみたいで本当によかったなーと思います。両親の喜んでくれるところ見るのは本当にうれしい。また来年も見に行こうと思うのでありました。

2011年8月9日火曜日

箱根に行ってきたよー 1日目

7月30日で31歳になりまして、7月7日にプロポーズした女の子と一泊二日で箱根に行って参りました。さんざん食べまくったのに、写真をあんまし撮っておらず、今さらながら悔しい思いをしております。


備忘録がてら列記。

◆7月30日(土)
・大船駅集合。ことりっぷ、箱根編を購入。

・東海道線で小田原駅まで行って、箱根登山鉄道だと思って乗ったら小田急だったけど、箱根湯本まで移動。

・お昼ご飯の場所を探しながら、炭が焚かれた七輪があって、そこで焼いて試食していいよ、みたいなところで干物を試食。すっごく美味しくて、うちの人にも食べさせてあげたいなーと思ったので送りました。

・中村屋さんというところでお寿司を食べる。箱根って海が近いんだものね、マジで美味い。

・お土産物屋さんに寄っては片っ端から試食する。おいしい物ばっか。箱根最高!

 とくに、福住屋さんのいかの塩辛がガチンコでうまくて、帰りに買うことにした。 

・バスで宿がある仙石原まで移動。星の王子さまミュージアムの近く。全部でご部屋あるお宿だったけど、泊まっていたのは我々だけの様子。中居さんなのか女将さんなのかおばあちゃんが色々と世話を焼いてくれる。

・お風呂に入ってからお宿で晩ご飯。これまた美味い。全部美味い。瓶ビール一本。

・おばあさんがケーキを持ってきてくれる!ようこちゃんがケーキを用意してくれてた!1ホール! 二人で半分食べて、残りはお宿のおばあさんにお裾分け。幸せはなるべく分割して配っておいたほうがいいね。

・本当に満腹。


自分の部屋にはないテレビを見てよく笑う。劇団ひとりってほんとバカだなー。AVOS。朝方、地震で目が覚める。

2011年7月19日火曜日

和合亮一さんのリャリティ朗読会に行ってきました

昨日の年7月17日に吉祥寺の安養寺というところで開催された和合亮一さんのチャリティ朗読会にいってきました。

http://www.kichimom.com/

第1部 盲目のヴァイオリニスト増田太郎さんによるヴァイオリン演奏
第2部 和合亮一さんによる詩の朗読

という構成。


入場料¥2,000のうち、必要経費を差し引いた残りを、東京都助産師会による、東日本大震災で被災された妊産婦を受け入れる「東京里帰りプロジェクト」に寄付されるとのこと。世の中には立派な活動をなさっている方々が沢山おられるのだ、と改めて感じたわけでありますし、

「よりよい社会になるための活動」をしていると寸分もコミットできない自分もなんとも、、、と思ったりしたのであります。働いてお給料をいただいて税金を収めているくらいか。


震災直後からtwitter上で和合亮一さんの詩のことを知り、ずっと読み続けていて、そのたびに涙してました。どうも震災以来涙もろい。そんな言葉たちを改めて音として聞いてみたらいよいよ泣けてくるのであります。


自分ではうまく言葉にできない気持ちと向き合いながら、詩や物語や神話は、きっとこんなとんでもない天災や人災が起こったときに紡がれた言葉なのだろうなぁとふと思ったのでありました。

美しく豊かだった土地が、損なわれてしまう無念はいかほどか。

わたしがこの先生きている間では、福島で起こってしまった原発事故は収束しなそうだし、一生の問題として関わることを改めて心に決めたのであります。


2011年7月13日水曜日

消化しきれず

この前の日曜日、東京ビッグサイトで開催されていた東京国際ブックフェアに顔を出して、ちょこちょこと本を購入。色んな出版社が出展していて、定価の20%OFFくらいで本が買えました。Amazonの中古で買うことが多い私にとっちゃ、書籍代のコストメリットはさほど出ないのだけれど、この本こんなに重いんだー、みたいな本を手に持つ感覚はやっぱり大事だと思います。結局、震災関連の雑誌のバックナンバーとスーザン・ソンダクの本を一冊。





やはり3月11日以降の特集コーナが目立ちましたな。地震のこと、原子力のこと、東北という土地のこと、それぞれをテーマにしたコーナがあって、あーこんなにも昔から多くの人が注意を呼びかけていたのか、、、、的な気付きが多すぎる。


震災翌日から紙に手書き新聞で情報発信した石巻日日新聞、気仙沼小に避難していた小中学生が手書きしたファイト新聞のコピーが掲示してあって、その手書き文字を目で追っているだけで思わず涙が出てしまいそうになって、俺はまだまだこのことを消化しきれていないのだなぁ、と実感したのであります。消化しちゃいけないのか。一生喉元につまって飲み込めずともよいことなのだろうと思います。


地震以来、自分が思ってた以上に脆かった社会への諦めや失望みたいな感情に絡めとられています。
震災直後、「経済をまわそう!過度な自粛はやめよう!お金を使おう!」みたいな言葉が聞こえてきて、津波で亡くなられた方々やまだどこかで助けを求めているかもしれない人々のこと、誰かの命の存続のことに深く考えていたいのに、「もうお金の話をしなくちゃいけなのか。。。」みたいな。

だからこそ後悔したくないって思ったから、転職・引越し、プロポーズしたのだけれど、心には経済活動に対する残念はあって、仕事に対する距離感が今までとは違うなー、と思うのであります。


復旧・復興ももちろん大事だけれど、その復する姿はまっとうなものかどうか自信が持てなくなってるのであります。地震、自身、自信、同じ読み方だね。