2014年9月21日日曜日

映画「生まれる」を見てきました

先日、「生まれる」という映画を見てきたのでその感想など。

「ティアラかまくら」という産科診療所の5周年記念イベントでした。もともと鎌倉市内の産科の減少を危惧する医師会の主導により、鎌倉市の協力を得て開設された診療所ということで全国でも珍しいそうです。うちの子はここの病院で産まれたわけじゃないんですけどもオープン参加ということで。


その病院で赤ちゃんを産んだお母さんたちやスタッフさんの手による企画で、もちろん赤ちゃんも同席OK。
上映中のおむつ替えや授乳のための中座もOKだし、おむつ交換コーナにはディスプレイが用意してあって退席中も映画がみられるし、ぐずる赤ちゃんを抱っこしてあやしながら立ち見するお母さんやお父さんもいる。子供連れのお母さん・お父さん目線で考えられているなぁと、配慮された気遣いがとても素晴らしかったです。

そういう状況なので、上映中は子どもたちの泣く声や話し声が聞こえてくるんですけども、なんとも幸せな気分になりつつも、映画の中で紹介される悲しい出来事への共感を増幅するのでありました。


さて、内容についてですが、ドキュメンタリー映画です。

母親から虐待を受けて育ち、自身が母親となることに深い苦悩を持つ妊婦さんとその旦那さんへの密着を話の軸として、染色体異常による障害のため、1歳の誕生日をむかえることが難しいことを覚悟して出産した夫婦の話、
出産予定日のその日に胎内で赤ちゃんを亡くしてしまった夫婦の話、
子どもを授かりたいと不妊治療をしながらも結局、子どもを諦めた夫婦の話、
などなど、それぞれの出産・育児に関するエピソードがつずられております。


予定日当日に赤ちゃんを亡くしてしまったご夫婦の話には本当に胸が苦しくなったし、うちの子だってたまたま元気に産まれてきてくれただけであって、この先何があるかもわからないし、画面の向こうにいる赤ちゃんやお母さん・お父さんたちは自分たちだ、と感じた次第です。いったいどんな違いあるだろうと。

上映中、なんども我が子をギュッとしてしまった。とても素敵なので機会あったらぜひ皆さん御覧ください。



あと、出産予定日にお子さんを亡くしてしまった夫婦に対して、産科の先生が「天国郵便局からパパとママへ」みたいな手紙を送ってくれた話。もちろんその夫婦は先生の気遣いによって救われていたのでしょうけども、自分は複雑な気持ちでありました。
「ママとパパとはすっごい短い時間しかいられないことはわかってたけど、やっぱりママとパパの子どもになりたかったんだ」みたいな文章で。ちょっと、違和感といいますか。葉の間にセロリのスジがはさまってとれないみたいな感じ。

なんでこんなに違和感を感じてしまったのかと自分でも色々と考えてたんですけども、先生の手紙とか途中に挿入されるCGとかアニメーションの描写がちょっとスピリチュアルな感じがしすぎるところが気に入らなかったんだと思います。

妊娠とか出産というものは、まだわからないことも多くて(両親学級とかで散々きかされた )予測しきれないことも多くて、とても複雑な事実の積み重なり合いは、ときに、奇跡や縁や因果としか表しえないような事態に見えるのだろうと思うのです。

いままさに子育てのさっ最中ですけども、それでも一歩でも十歩でも離れた位置から物事を冷静に見ることを忘れないようにしないと思った次第であります。





2014年5月12日月曜日

赤ちゃんが生まれました

2014年4月21日(月) 20:05 第一子が生まれました!予定日よりも3週間くらい早く、体重は2062g、身長46cm。前日の夕食後に食べたグレープフルーツよりもちっちゃな頭で、モゾモゾ動いて、本当にかわいいーー。
予定よりも早かったこと、検診の時に想定していたよりも体重が少なくて、低血糖の心配もあるということで病院の助言にしたがって小児科の先生や助産師さんに見守られながらNICUでちょっとずつだけど、日々大きく育っています。親といえど会える時間が限られるのはさすがにさみしいけれど、はやく元気になって退院しましょ。

僕は出産に立ち会いました。金曜日のあたりからずっと前駆陣痛が続いていて、月曜のお昼頃に入院してそのまま分娩室へ。私も仕事を早退させてもらって病院向かいました。病院についた13:00頃から20:05の誕生までずっと分娩室の中で奥さんと一緒にいました。

痛みに耐えている奥さんのかたわらで男子はできることなどなく、無力感しかなかったですけども、せめて奥さんとお子の頑張りを見届けようと腹をくくって、腰のマッサージしたり、団扇あおいだり、飲み物を買ってきたり、一緒に昼寝したり、手を握ったり。

時間はいつになるかわからないけど、きっと明日になるまでには生まれているんだろうなぁ、とか思いながらこれまでの自分の人生をなんとなく振り返ったりしてました。自分の両親や大学・社会人生活を通じて知り合った友人たちの顔が浮かんできて、まるで走馬灯や!死ねない!恩人と呼べる人たちがたくさんいすぎて、もうちょっと収集がつかなくなるくらい。俺、いままでどれだけの人たちに迷惑をかけて生きてきたのだろうか。。。

生まれてきてくれた我が子を抱っこした時はほんとうに嬉しかったし、がんばった奥さんをとても愛しく思ったし、離れて暮らしている両親や祖母たち、いつも助けてもらっている奥さん方の両親、応援してくれた友人の顔が次々に浮かんだし、助産師さんたちはみんな優しいし、きっといまおれは幸せの中にいるんだ、って思いました。

高校生の頃、「生物」を教えてくださっていたおじいちゃんみたいな先生が、「自分の親よりも自分自身が立派に生きなければ社会はよくなっていかないだろう。学ぶ気があるならもっと勉強しろ!」って竹の物差しで頭をぶっ叩かれた記憶がやたら重みを増しています。私の両親や家族がしてくれたことが基準点なのだな。

一緒にがんばっていきましょう。

2014年3月31日月曜日

異動であります

今日でFY13が終了しまして、4月1日から新しい年度が始まります。1年間お疲れさまでした、と関わった人たちや自分に声をかけてあげたい。

僕はと言うと異動が決まってまして、4月からは別の部署で営業の仕事をします。2年連続での異動で、どうなのよ?と思うこともあるけれど、会社が大きく組織を変えるタイミングでの異動ですから、自分は組織に変化を与える因子なのだと思って、頑張るつもりです。普通とはチョット違う中途採用だしね、多様性をもたらすモノであれ、と自分でも目指してたとこですから望むところであります。


で、FY13年度を振り返りをしてるわけなんですけど、これが結構つらい振り返りでして、今年は少し病みました。病院に通うとかそこまではいかなかったけど、体調も悪かったし気分は沈み続けたし本当に苦しかった。奥さんの支えがなかったら本当に潰れていただろうと思います。代わりにと言うか、当初一緒にやってた後輩ちゃんが折れてしまって、とても悲しいです。メンター、マジ大事。相談できる人がいなかった。


夏くらいからこのままじゃヤバイ!って思って自分の心身を守るためにやってしまったことは鈍感になることでした。ハラスメント( 僕はそう感じたので)に対して、どう振る舞うべきか、やっておかなきゃいけないことは何かをしかるべき機能を有するとこには相談しつつ、僕は心を維持するので精一杯、みたいな状態。

それでも、意思表示をしなくちゃいけないわけだから、やめて欲しいことはやめて欲しいと伝え、異動希望を出していたわけであります。残りたいと希望してた人たち、僕はドロップアウトします。


愚痴っぽいのはそこそこにして、結構本気の反省がありまして、先に述べた鈍感な心でお客さんに接してしまった。自分が置かれている環境での苦しさを、お客さんとの距離感に転嫁してしまったと思っているのです。決してお客さんのことを邪険に扱ったとかじゃなくて、正直に告白すると僕はこの1年間、お客さんのことを最後まで本気で好きになろうとしなかった。

もちろん、業務を回すうえでお世話になった方々とはそこそこうまくやってきたし仲良くもなれたけれど、心の隅にひねくれた鬱屈した想いがあったのであります。


ほんと、反省してほしいなおれ。お前はそういうタイプじゃないじゃない?明日から、明るく楽しく自由に振る舞えますように。