2012年11月13日火曜日

福島に行ってきました

結婚式から一週間後の土日休み。奥さんのおじいちゃんに会いに福島に行ってきました。

福島から伊達市に向かう途中、作付していない田んぼが目立ちました。去年は放射能が検出されたこともあって、今年も植えていないところも多いそうであります。

義理のお母さんのご実家ではおじいちゃんとおばあちゃんが農業を営んでらっしゃった。震災があって、おじいちゃんが倒れたりして、大事に育てて来た桃の木をきったりした。

僕らが式を挙げる直前、式までもたないかも、、、みたいな話もあって、結婚式を中止することも視野に入れていた。


おじいちゃんは、病院のベッドで人工呼吸器をつけて、見えているのかわからない目を開けて、瞬きをする、右手の親指を動かす、くらいしかできないのだけど、孫娘が旦那を連れてきたことはわかるようで何度も何度も瞬きして、必死で何かを伝えようとしているのはわかりました。なんとか元気になってほしいなって思います。


福島の新聞の一面はだいたい原発がらみの記事だし、いたるところに線量計はあるし、出会うと人と話すと地震と原発事故のことだし、こうしたことに無関心であってはならない、と心では思いつつも、

大事な情報をインプットせず、何か行動していたか?と言われても何も言い返せない自分がなんとも情けなく、色々と考えこんでしまったわけであります。

福島にはこれから何回も行く事にしました。




結婚式をあげました

11月4日のとっても天気の良い日に結婚式・披露宴をしました。7月7日にすでに入籍して一緒に住んでいたわけですけれども、改めて、お世話になってきた方々の前で言挙げしたわけで気持ち新たになりました。

 二人で一生懸命、それぞれの両親、友人を大切にしながら生きていきたいと思います。

あとね、ムービーにコメントくださった、ゴマシオキッチンのご主人のアドバイスを大事に、3つの袋を大切に生きていきたいと思います。

いやぁ、たのしかった!

2012年10月21日日曜日

考えながら手を動かすのは難しい

結婚式の準備をしています。奥さんのお手伝いで、布を切るとかアイロンを掛けるとかやってるんですけど、ちょいちょいミスって奥さんから怒られたりしてます。すみません。

最初は、「来てくれた人が喜んでくれたら」とか「一人ひとりの顔を思い浮かべながら心を込めて」とかやってたんですけど、そんなことを考えながら作業していたら、手元の作業手順をすっ飛ばしてしまったのであります。

テレビやなんかで熟練の職人さんが「使ってくれる人のことを思い浮かべながら」とか「食べてくれる人を考えながら」とか言ってるのを見ますけども、

何かを考えながら作業するということは、何年、何回もの反復によって手順が身にしみた人にしかできない技なのだなと思った次第です。


喧嘩ばっかしてますが、なんとか楽しい結婚式を迎えたいです。

2012年9月16日日曜日

いろいろと忙しいですね

半期の終わりということもあって、ちょっとお仕事が忙しいです。というか、少し無理してでもがんばらなくちゃというフェーズですもんで、自分や案件を手伝ってくれてるSEにも負荷がかかっている。

まー、がんばるしかないので、タスクこなしマシーンとして、あまり考えないで頭と手を動かすほかないのであります。


で、いま一緒に仕事をしているSEさんってのが3年目の若い子でして、彼がとてもいい。スキルも経験もまだまだ足りないけれど、実直でまじめなので信頼できます。頼り切っていると言ってもいい。

もちろん、彼もまだまだなので周囲の優秀な先輩にフォローされながらがんばっている姿を見ていると、営業の俺もがんばろうと思うのであります。だいじょうぶ、本当にやばい感じはしないから、10月のサービスインは問題なくむかえられるよ。


社会に出て、ただただひたすらに必死な時期があって(一応わたしにもあったよ)、その後の何度かの転職だとか人生の積み立てで、それなりに経験値を稼いできたつもりだけど、必死だった頃って思い返してもつらいのだよね。

体力的にも精神的にもつらかったし、何よりもイタかったと思うのです、ださかったと思うんですよ。働き始めて2〜3年目の若造が偉そうなこと言ってたわけで、この歳になってみて、後輩の若い子ちゃんがくそガキみてーなことゆってるのを見ると、あー、力不足がいきがるってこんなにかっこわるいのかとわかるわけですな。


もう少しがんばっていい仕事したね、って一緒にやってる若い子ちゃんに言ってあげたいです。

2012年8月29日水曜日

大好きな喫茶店に行ってきましたよ

秋田県は美郷町、湧水で有名な六郷にゴマシオキッチンというとっても素敵な喫茶店がありまして、秋田にいる頃から大好きで、また上京してからも帰省のたびに立ち寄らせてもらっていました。

ゴマシオキッチンさん
http://gomashio-kitchen.net/

秋田県内情報誌かなんかで見つけて行ってみたんですけど、お店の前に掲げてあった黒板に「コーヒーと恋愛がともにあればいい」なんてサニーデイサービスの歌詞が書いてあってここは間違いないなと確信したのでありました。


先週末に大曲花火大会を観覧しに秋田に帰省した際に、奥さんと一緒にお邪魔してマスターといろいろとおしゃべりしてきました。僕の奥さんもゴマシオさんのファンであります。

そのとき、マスターが重要な指摘を2つしたので忘れないようメモしておこうかと思います。

1つは、「マスター手書きのコースターが卑猥です」みたいな話を私の奥さんがしたとき。
(下の画像参照のこと)



「たいていの女の子は卑猥なことよろこびます」みたいなことゆってて、あー、この人は本当に楽しい人だww と思ったのであります。いやほんと、真理。


もう1つは、常連さんがとてもいい人たちばっかりでとても素敵ですね、なんて話をしていた時なのだけど、マスターが

「言葉は悪いかもしれないけれど、本当によくきてくれる常連さんはどこかガラクタみたいなところがあるんです」みたいなことをゆっていて、確かに私もガラクタだわー(笑)、なんてめちゃくちゃ笑ったんだけど、あとあと、とてもすごいことをおっしゃっている、と思ったのであります。

これはですね、カルロ・ギンズブルグが指摘したような「欠けている物語の主」みたいなことと通じる話だと思ったんですね。
(参考)http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0056.html

物語の主人公や英雄はどこか欠けている。すでに傷を負っていたり、めちゃくちゃ強いけど決定的な弱点を持っていたり。けれども、欠けていることが主人公として語られるための条件である、みたいな。童話とか神話とか物語を思い返してみると確かにそう。桃から生まれてみたり、身長が一寸しかなかったり、じいさんにこぶがついていたり、アキレス腱が弱点だったり、隻眼・隻腕だったり、どこか不完全。


物語の主人公ではないけれど、六郷にある喫茶店はそんなガラクタみたいな人たちが心地がよくて集まるところなのだろうと思われます。

喫茶店のマスターと僕は年齢が一緒で、常連さんもその近辺の世代が多いと聞きましたけども、それなりに生きてきたので心や体に何らかの瑕疵を持っていて、抱えていたり乗り越えたりしていて、

それでも、まだまだ一人前にはほど遠いことを自覚せざるを得ない狭間にいる世代なのでしょう30歳前後って。そして、それなりに自分の弱さだとか負の部分と向き合ってきたことがある素直で弱くて強い人たちでもあると想像するのであります。


僕がゴマシオキッチンさんに魅かれる理由はもうちょっと単純で、いつかの昔に、こんな風なことできたらいいなーって夢想したことを実現してらっしゃって、ちょっとうらやましいし、何よりもコーヒーがおいしい。


2012年8月19日日曜日

別れ際について

長い長いお盆休みをいただいていたのですけれども、その期間中、小学校からの友人のお父様が亡くなられた。具合が悪くて入院している、とは聞いていたのだけれど、まさか。。。という報せであった。

友人とは部活が一緒だったことや、大学生時代に家が近かったこともあり、10代から20代にかけての境目の時代に一番多くの時間を共有した友人と言えると思う。

仕事で参列できない父に代わって火葬にいっていきた。大学を卒業してからは疎遠になっていたのだけれど、何年ぶりかの友人との再会がまさか火葬場とは思ってもみなかった。

友人は、父危篤の報を受け、急ぎ東京から秋田の病院に駆けつけ、病院の中をダッシュして父の死に目に間に合った。

一方、彼が病院内を走っていた頃、ベッドを取り囲む親族の方々が「すぐそこまできているから、どうかまだいかないで!!!」と叫んでいた。いったん止まりかけた心臓が最後の力を振り絞って息子が到着するまで動いたのだそうだ。

父や母に代わって、どうか穏やかに休んでくださいと手を合わせてきました。


亡くなられたお父様はご出身は山口県で、秋田に婿にこられた。生まれ育った土地からはなれた場所で死ぬという気持ちはどんなのだろうかとか、考え込んだ。

2012年8月13日月曜日

帰省中です

入籍してから初の秋田帰省。長めのお盆休みをもらいました。「奥さんは一緒じゃないの?」って言われるんですけど、月末に奥さんとご両親を大曲花火大会に招待していてるのでその機会に。

今日13日はお土産を持って、近所の親戚のうちに挨拶回りしてきました。


私のお食い初めをしてくれたおばあちゃんがお休みになっている仏壇でご挨拶と結婚の報告。ついで私のうちの本家、父方の祖父の実家の仏壇にご挨拶と報告。最後は夕方に母方・父方の祖父の墓参り。

改めて自分の祖父やご先祖様をとても身近に感じているのであります。結婚してからの心の変化であろうと思います。自分が、人々の歴史に接続されたような感覚です。大切な時間を積み立てていけたらと思っています。


突然話はかわるんですけど、スリッパって左右がないじゃないですか、靴と違って。でも、履いているうちになんとなく足に馴染んできて、こっちは右足だな、間違えて履いちゃったな、とか分かるようになると思うんですよ。

で、今日、墓参りでばあちゃんちに行った時に用を足そうとトイレ用スリッパを履いたら、あれ左右違うなって思ったんですよね。昨日ばあちゃんちに行ったときは間違いなく左右がそろっていたから変化に気づく訳です。ばあちゃんは一人暮らしだし、男性用小便器を使う分けないし来客もないし。

けど、きっと誰かが使った時に左右がいれこになっちゃった。たぶん、迎え火を焚く前にじいちゃんがフライング気味に家にやってきてスリッパ使っちゃったんだね。脱いだ時にそろえなかったからいれこになっちゃった。

よくよく考えたらお盆だし当たり前のことだよね。


どうか、僕らの大切な家族が元気で生きていけますように。じいちゃんもたまには北鎌倉に遊びにきてください。

2012年7月14日土曜日

入籍しました

2012年7月7日、入籍をしました。ぱちぱち。鎌倉市役所の守衛さんが写真を撮ってくれたり、土曜窓口の市職員の方が写真を撮ってくれたり、みんなとっても優しかったです。

ちょうど5年前に出会って、途中、神奈川と秋田の遠距離恋愛が3年半くらいあって、1年前に東京に戻ってきてプロポーズして、いろいろあったけれど、ずっとこの女の子ことを好きだったんだ、とか思ったら泣けてきましたよ。


昨年、奥さん(!?)と両親と4人で秋田は大曲花火大会を見に行ったのだけど、帰り道の人ごみのなか、はぐれないよう、両親が手をつないで歩いているのを見て、あー、こんな父さんと母さんになりたいんだって思ったのであります。

奥さん(!!)のご両親もとっても素敵で優しくて、幸いなことに素敵な事例が身近にありますから、しょっちゅう喧嘩はしますけれども、仲良く、歴史を折り重ねていけたらと思っています。

2012年7月2日月曜日

両家顔合わせ

先週末、両親の顔合わせイベントがありまして、秋田から父と母が東京の方にきてくれました。互いの両親同士は初顔合わせでして、特にうちの両親はガチガチでありましたよ。

先方のお父さんとお母さんはとても優しい方だからそんなに緊張しなくてもいいよ、と何回いっても「本当にあんたでいいのかしら?」って言うものだから、もう少し自分の息子に自信もってよね、なんてプンスカしたのであります。


食事会の場所は北鎌倉にある「鉢の木」さんであります。ミシュランガイドにも載る有名なところだそうで、人もたくさんおりましたし、お食事も本当においしく感激したのであります。

仲居さんが「(予定がつまってるんで)もうお料理持ってきてよいですか?」なんて急かすのが気に入らなかったのでありますが、女の子さんのお店で眼鏡を作ったことがあるとわかってから少し物腰やわらかくなりました。

滞りなく食事会は進み、婚姻届に署名をもらい、記念品の腕時計の交換をして、鎌倉の鶴岡八幡宮に移動し家内安全の祝詞をあげてもらい、あっというまの3時間半でありましたよ。

たぶん、なんだかんだ言って私も緊張していたのでしょうか、食事会でどんな話をしたかディテイルを思い出せません。何か無礼なことはなかったかと反省しようにも思い出せないのであります。


改めて、両親に感謝した日でありました。何度も泣きそうになったし、うれしさもあるし、長男でありながら実家を飛び出してしまった少し複雑な気持ちもある。

でもきっと女の子がゆっていたように、気持ちは神奈川と秋田を行ったり来たり、それが常なる状態としてこの先も生きていくのだろうと思います。それでよしと決めたのであります。


新たな家族となる人と一緒に、長生きしたいなと思ったのでありました。

2012年6月16日土曜日

田植えをしに秋田に帰りました

昨年は 秋田→東京への引越しのタイミングということもあって田植えできなかったんですけども、仕事も落ち着いていたので土日 + 月(有給)の3日間の日程で秋田に帰りました。

金曜日の夜に夜行バスで秋田に向かい、土曜日の朝から田植え仕事を手伝うというなかなかのハードスケジュールで体はもつだろうか、なんてのは杞憂でありました。

私は主に田植機の操縦を担当したのですけれど、まっすぐ植えなくちゃ!という集中と、うっかりミスして事故でも起こしたら一大事に至る!という緊張感のおかげで朝から晩までなんとか乗り切りましたよ。


今年はお嫁さんも手伝ってくれました。育苗箱洗いという単純ながら一番腰にこたえる、と評判の仕事をやってもらいましたよ。都会育ちの婦女子ですら容赦無く労働力としてカウントされているあたりが農家の感覚でしょう。

本人も進んで仕事してくれたし、私の家族とも仲良くやってくれたし、近所の人達ともうまくやってくれたし、本当に助かったのであります。来年もこの先もお願いしやす。


田植え時期の秋田の山の緑は本当に鮮やかで美しくて、やっぱりいいところなんだよな、って思いました。自然に間借りさせてもらっている感覚が染み付いているのを感じます。

「ツカサくん(わたしの名前)が帰ってきてると聞いてもってきたよ」なんて隣のうちの母さんがワラビを持ってきてくれたり、おすそわけにいただいたアスパラが食べきれないくらい大量にあったり。

給与水準が低い、高齢者が多い、自殺者が多い、過疎化が進む、とかとかネガティブワードで語られることも多くて、経済みたいなナイフで切り取った断面を見て観測できた事実ではありましょう。

けれども、生きていくための豊かさはある、と断言できる。その土地の豊穣をちょっとだけおすそわけしてもらって美味しいお米ができるのであります。はー、はやく新米食べたい!


2012年5月30日水曜日

北鎌倉に引っ越しました

2週間ほど前に、大井町から北鎌倉に引っ越しました。結婚する女性と一緒に住むためです。7月入籍、11月結婚式の予定。7月の入籍までは広くて何もない部屋に一人で住むことになります。

 庭には竹林があって、窓をあけるといい風が通って、朝はホトトギスがぴーちくうるさくて、夜は遠くから横須賀線の音が聞こえます。五感を刺激される感じがしてとってもいいお部屋です。

人生何度目かの引越しをしたわけですが、引っ越した先のご近所の方々に初めて挨拶をしてまわりました。早速、町内会費?みたいなのも払いました。ゴミ出しがいかに大事な問題かを熱弁していただきました。ふむふむ、色々とお作法があるのですね、余計な揉め事を起こさないよう気をつけるし、私はなるべくゴミを出さない生活をしたいな、って思いましたよ。

友達がたくさん遊びに来てくれるおうちにしたいなと思います。調度品は女の子がすべて選ぶので、それに任せたいし、それのほうがきっといいお部屋になります。

大学生の頃、学校近くに借りたアパートに4年間住みました。社会人になってからは2~3年ごとに引越しをしています。北鎌倉での生活が長く続きますように。しっかり根をはって住みたいな、って思います。

2012年4月19日木曜日

リソースとか兵站とか

会社の先輩と後輩くんと三人で銀座でご飯を食べてきました。

http://r.tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/13007586/

先輩おすすめの「飯場 銀座店」であります。串揚げがマジで美味しかった。蓮根、山芋の串揚げサイコー!とテンション上がってしまったのであります。

先輩は私の一つ上ですが、なみいるものどもを押しのけたわけでもなく、実力によって課長(いまはリーダという名前に変わりました)というポジションにまでなった方であり、現場SEとしても優秀、マネジメント職に就いたあともチームビルディングに成功しているのであります。

ご本人に言わせたらチームビルディングなんざまだまだ足りず、下からの突き上げも大変だとおっしゃっておりますが、その突き上げを引き受け、さらに上へと突きあげていくということをきっちりとされています。それが報われているかどうかはまた別として。。。


さて、その先輩とお話をしていて改めてリソース、いわゆる兵站と言っていいのでしょうか、の配分を上手くやる云々の前に、そもそも兵站がちゃんと足りているのかいないのか?という分析が大事だと思ったのであります。いまは間違い無く足りない。戦略はぼんやりとあって、それぞれの頑張りによって戦術は実行される、けど弾がない。みたいな状況であります。


特に今年度はがんばるしかないのですが、何十年か前の戦争のことを思い返してみても、気持ちだけでやっていくには限界があります。リソース配分の妙はあれども、リソース作り・確保をどうするか、一つ課題を得た思いです。

2012年4月2日月曜日

新年度がはじまりました

4月1日より会社は新年度に突入しました。人や組織が動きました。今年もがんばりたいところであります。


中途入社の私にとって、出戻りとはいえ、どんなかたちであれ目に見える“結果”が必要だったわけであります。絶対にほしいと思っていた。ラッキーパンチみたいなものだったけれど、こんだけやってね、って言われていたところは超えたので体面を保った形であります。ふー、よかったー。


私が所属する営業チームに2年目の子が参加することになりました。しっかりと伸ばしてあげたいと思うのだけれど、Facebookで「誰にも負けたくない、俺はこんなんじゃない。がんばりたい。」みたいなことをゆっておるのだが、残念ながらまっとうな努力をしている形跡が見当たらないのがさみしいところであります。がんばれよ、本当に。応援するから。


今年もよろしくお願いします。

2012年3月26日月曜日

ハッピーバースデイ 3.11

先のエントリーでも紹介したかながわ東日本大震災ボランティアステーションの被災地情報支援フォーラムでは、それぞれ現地で活動されている団体による活動報告やパネルディスカッションがあったわけですが、その中で紹介されていた動画がありまして、思わず泣きそうになったのであります。うちに帰ってきてから見返して泣いた;;




3月11日は沢山の方の命日でもあり誕生日でもあります。震災当日に生まれた新しい赤ちゃんもいて、その方々へのインタビューが本にまとめられています。

余震が続く中でがんばったお母さんと赤ちゃん、家族がいて、病院の先生や看護師さんたちがいたこと忘れてはいけないよなぁ。あんな悲劇があったあとで、新しい命が生まれたことを喜ぶ声をあげることができなかった、とか。。。全然知らないお母さんだし赤ちゃんだけど、祝福したい!いや、祝福させてください、ほんとに。


被災地情報支援フォーラムに参加してきました

かながわ東日本大震災ボランティアステーション主催のフォーラムでお話を聞いてきました。
http://ksvn.jp/news/event28293.html

2011年3月11日の大震災の直後から読んでいた「余震の中で新聞を作る」という題名のブログを綴っておられる河北新報社 編集委員・寺島英弥さんがいらっしゃって基調講演をされるとのことで行ってきました。

寺島さんが取材されて書かれた記事や写真を交えながら、そのエピソードを語ってくれました。「一本の記事や一枚の写真の枠の外に、語られていない被災された方々の声がまだまだ沢山うまっている。河北新報では、そうした人々を丁寧に何度も何度も取材して、いったい何が起きてしまったのかを明らかにしていきたい」とおっしゃっていたのが印象的であり、そうした活動をされている方々を尊敬するし、何か支援できることはないだろうかと考えるのであります。

大震災後の問題をいっそう複雑にしている福島第一原発での事故にも触れて、なぜ東北にはこれだけ沢山の原発があるのか、貧しさ故なのか、ならば何故貧しいのか。“敗者の土地であった”という言葉は東北をとらえるために重要な時間軸を与えてくれるように思います。


-----
一年前の地震のあと「自分にできることはなんだろうか」と悶々としたものの、特殊技能を持たない僕は「とにかく働いて義援金を送る」ということに決めて、自分がしたことは間違ってたと思わないけれど、“当事者”として“関与”したつもりになって、思考・行動停止してしまっていたのではないかと反省する気持ちもあって、きっとこの先の人生で消化し続けなくてはならない課題として引き受けていく覚悟だけもっている状態であります。


何か具体的な困りごとや心配事や課題があって、解決策を提案し実行していくことが大事ならば、できることがあると寺島さんのお話を伺って確信したことがあります。

被災地の方々は「風化と風評を恐れている」とおっしゃっていました。ならば、「風化させない、風評を流さない」ことに協力できると思うのであります。

あまねく広く確かなことを知る努力し、それを語り続けていくこと。友人や恋人、家族、いつか生まれてきてほしいなと思っている子供まで語り継いでいくことをやっていこうと決めたのであります。

-----
寺島さんがブログで綴ってきたことが本として出版されています。何度も何度も読み返そう。新しいのが出たら買い続けよう。

2012年3月4日日曜日

友人の赤ちゃんに会いに行こうシリーズ (1)

今年は自分も結婚することになったし、お子も欲しいなという思いとの距離もだいぶ縮まってきたことを実感している今日この頃であります。

さて、友人の赤ちゃんに会いに行こう、と称しまして、ずいぶんと会っていなかった友人達に、遅ればせながら東京復帰の報告をしたり近況を話し合ったり、世の行く末に語り合ったりしたいと思うのであります。

そんなシリーズ第1回目は、大学時代のサークルの友人夫妻に会いに行ってきましたよ。東横沿線の元住吉であります。

まず、地名が良いですね、元住吉。住むに吉し。駅前の住吉神社はまた別のところにでも会ったのだろうかと思います。神功皇后の三韓征伐神話にも登場し、海と戦の神であり、異境を想像させる神社です。郷土史とか読んだらすっごく面白そう。


旦那さんとは勤め先が近いこともありちょこっと前に田町でお酒を飲んだことがあるのだけれど、奥さんとは、旦那さんの仕事の都合で大阪にいた頃に遊びに行って以来。


なんとゆうか、二人がお子に接する距離感というか慈しむような優しさが伝わってきてそれはそれは幸せな気分になったのでありました。悠太くんよ、元気に育つのだぞー。


2012年2月19日日曜日

継続して支援をしていくこと

2011年3月11日の東日本大震災で発生してしまった悲劇に際して、自分は何ができるものかと考えこんでしまうことが多くありまして、直接的にできることはないなら支援する人を支援する、と心に決めて、

早稲田大学大学院の講師である西條剛央さんが立ち上げた「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を通じて毎月ちょっとずつだけれど寄付を続けています。

ふんばろう東日本支援プロジェクト


その西條剛央さんが本を出版されました。




支援している人を支援していくことを継続していきます。本はこれから読むのだけれどもー。自分なりの、人を助ける仕組みを作ってまわしていけたらと思っているのです。

2012年1月22日日曜日

筆跡

実家の秋田に住んでいたときから、同じく秋田に住む方のブログをちょこちょことお邪魔して読んでいます。文章を読んでいる限り、たぶん私と同じ頃に東京から秋田へと戻った方。

泣いた“なまはげ”の天気読み

天気読み、いかにもでしょう?


ブログにおばあちゃんの手紙の写真が載ってまして、いい筆跡だなぁと眺めていて、ふと、私は祖父母、両親の筆跡を思い浮かべることができないことに気づいたわけであります。

父さんや母さんはどんな字を書くのだっけか?最近父さんが書いた文字を見たのはいつだ?本家のじいちゃんが亡くなられた時、香典袋に書いた名前だ、とか。

なんとなくだけど、これは由々しき事態じゃないかと思ったのでメモ程度に。

2012年1月4日水曜日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。しばらく放置していたブログですけれども、今年はなるべく書いていこうと思います。特にテーマがあるでもなく、世の中のためになるようなことをポストするわけでもなく、ただただ、自分が日々思ったことを綴り自分の気持と向き合う自己カウンセリングな場となる予定です。既にそうか。

2012年をどうしたいか、というかを考える前に2011年を振り返りたいと思います。3大ニュース的に。

◆東日本大震災

3月に東日本大震災が起きました。直接的な被害を受けたわけではないものの、たぶん今のままじゃいけないのだろうし、なんでこんなことになってしまったのか?ということがたくさんあって混乱しました。メソメソしました。

なんでこんなにメソメソしているのか自分でも考えこんでしまったのだけれど、同時代に生きるたくさんの日本人の命があっという間に失われてしまったことがただただ悲しかったのだと思います。

地震と津波で起きた福島第一原発の事故も同様であります。いったい自分は何に加担していたのか、乗っていた/乗っている船は一体なんだったのか。議論できるようになるまで勉強しておきたいです。とりあえず、日本のエスタブリッシュメントみたいな人達はあんまし信じないことにしました。


◆東京に戻りました

秋田から東京に戻って働くこととなりました。呼び戻してくれた友人に言葉では表し切れない感謝と変わらず迎え入れてくれた友人たちに嬉し涙が出る日々でした。これから恩返しをします、なんと言われようと必ず。そのために働くのだと言ってもいいくらいに。


◆プロポーズしました

3年半遠距離恋愛していた女性にプロポーズしました。本当に長かった。苦しくて吐きそうになる日もありましたが、そんな辛いことも既に忘れかけているから不思議なものであります。



自分が納得できる生き方ができるように2012年は少しばかりラディカルに突き詰めていきたいと思っています。