2011年9月12日月曜日

大曲の花火に行ってきました

先月、大曲の花火、全国花火競技大会に行ってきました。 http://www.ldt.co.jp/hanabi/

2008年から数えて4年連続で桟敷席での観覧。高校卒業まで過ごした18年間で大曲の花火を見に行ったことはなくて、20代の後半でその素晴らしさに度肝を抜かれて、すっかり大好きであります。花火のこと、好きになりました。

今年は、プロポーズした女の子と両親と4人で花火を見に行ってきたよ。お盆に帰省したときに、両親には女の子のことを伝えてあった。両親も女の子も仲良くしてくれて、ほんとうに嬉しかった限りであります。これから先の光景が想像されました。

天気にも恵まれて、花火もやっぱり素晴らしくて、桟敷席だと自分の視界に収まり切らない縦横のスケール比で花火が打ち上がるからなんだか焦点が合わない感じがします。一発一発がとても素晴らしくて胸打つのだけど、焦点が定まらないからディテールが定着されないというか。けど、全体の印象として圧倒された感が残る。

大曲の花火が終わると、秋田の夏も終わりだねー、みたいな空気感になるので、まー花火っぽくていいかー、と思います。

父は30年ぶりに、母は初めての大曲の花火。二人とも楽しんでくれたみたいで本当によかったなーと思います。両親の喜んでくれるところ見るのは本当にうれしい。また来年も見に行こうと思うのでありました。

2011年8月9日火曜日

箱根に行ってきたよー 1日目

7月30日で31歳になりまして、7月7日にプロポーズした女の子と一泊二日で箱根に行って参りました。さんざん食べまくったのに、写真をあんまし撮っておらず、今さらながら悔しい思いをしております。


備忘録がてら列記。

◆7月30日(土)
・大船駅集合。ことりっぷ、箱根編を購入。

・東海道線で小田原駅まで行って、箱根登山鉄道だと思って乗ったら小田急だったけど、箱根湯本まで移動。

・お昼ご飯の場所を探しながら、炭が焚かれた七輪があって、そこで焼いて試食していいよ、みたいなところで干物を試食。すっごく美味しくて、うちの人にも食べさせてあげたいなーと思ったので送りました。

・中村屋さんというところでお寿司を食べる。箱根って海が近いんだものね、マジで美味い。

・お土産物屋さんに寄っては片っ端から試食する。おいしい物ばっか。箱根最高!

 とくに、福住屋さんのいかの塩辛がガチンコでうまくて、帰りに買うことにした。 

・バスで宿がある仙石原まで移動。星の王子さまミュージアムの近く。全部でご部屋あるお宿だったけど、泊まっていたのは我々だけの様子。中居さんなのか女将さんなのかおばあちゃんが色々と世話を焼いてくれる。

・お風呂に入ってからお宿で晩ご飯。これまた美味い。全部美味い。瓶ビール一本。

・おばあさんがケーキを持ってきてくれる!ようこちゃんがケーキを用意してくれてた!1ホール! 二人で半分食べて、残りはお宿のおばあさんにお裾分け。幸せはなるべく分割して配っておいたほうがいいね。

・本当に満腹。


自分の部屋にはないテレビを見てよく笑う。劇団ひとりってほんとバカだなー。AVOS。朝方、地震で目が覚める。

2011年7月19日火曜日

和合亮一さんのリャリティ朗読会に行ってきました

昨日の年7月17日に吉祥寺の安養寺というところで開催された和合亮一さんのチャリティ朗読会にいってきました。

http://www.kichimom.com/

第1部 盲目のヴァイオリニスト増田太郎さんによるヴァイオリン演奏
第2部 和合亮一さんによる詩の朗読

という構成。


入場料¥2,000のうち、必要経費を差し引いた残りを、東京都助産師会による、東日本大震災で被災された妊産婦を受け入れる「東京里帰りプロジェクト」に寄付されるとのこと。世の中には立派な活動をなさっている方々が沢山おられるのだ、と改めて感じたわけでありますし、

「よりよい社会になるための活動」をしていると寸分もコミットできない自分もなんとも、、、と思ったりしたのであります。働いてお給料をいただいて税金を収めているくらいか。


震災直後からtwitter上で和合亮一さんの詩のことを知り、ずっと読み続けていて、そのたびに涙してました。どうも震災以来涙もろい。そんな言葉たちを改めて音として聞いてみたらいよいよ泣けてくるのであります。


自分ではうまく言葉にできない気持ちと向き合いながら、詩や物語や神話は、きっとこんなとんでもない天災や人災が起こったときに紡がれた言葉なのだろうなぁとふと思ったのでありました。

美しく豊かだった土地が、損なわれてしまう無念はいかほどか。

わたしがこの先生きている間では、福島で起こってしまった原発事故は収束しなそうだし、一生の問題として関わることを改めて心に決めたのであります。


2011年7月13日水曜日

消化しきれず

この前の日曜日、東京ビッグサイトで開催されていた東京国際ブックフェアに顔を出して、ちょこちょこと本を購入。色んな出版社が出展していて、定価の20%OFFくらいで本が買えました。Amazonの中古で買うことが多い私にとっちゃ、書籍代のコストメリットはさほど出ないのだけれど、この本こんなに重いんだー、みたいな本を手に持つ感覚はやっぱり大事だと思います。結局、震災関連の雑誌のバックナンバーとスーザン・ソンダクの本を一冊。





やはり3月11日以降の特集コーナが目立ちましたな。地震のこと、原子力のこと、東北という土地のこと、それぞれをテーマにしたコーナがあって、あーこんなにも昔から多くの人が注意を呼びかけていたのか、、、、的な気付きが多すぎる。


震災翌日から紙に手書き新聞で情報発信した石巻日日新聞、気仙沼小に避難していた小中学生が手書きしたファイト新聞のコピーが掲示してあって、その手書き文字を目で追っているだけで思わず涙が出てしまいそうになって、俺はまだまだこのことを消化しきれていないのだなぁ、と実感したのであります。消化しちゃいけないのか。一生喉元につまって飲み込めずともよいことなのだろうと思います。


地震以来、自分が思ってた以上に脆かった社会への諦めや失望みたいな感情に絡めとられています。
震災直後、「経済をまわそう!過度な自粛はやめよう!お金を使おう!」みたいな言葉が聞こえてきて、津波で亡くなられた方々やまだどこかで助けを求めているかもしれない人々のこと、誰かの命の存続のことに深く考えていたいのに、「もうお金の話をしなくちゃいけなのか。。。」みたいな。

だからこそ後悔したくないって思ったから、転職・引越し、プロポーズしたのだけれど、心には経済活動に対する残念はあって、仕事に対する距離感が今までとは違うなー、と思うのであります。


復旧・復興ももちろん大事だけれど、その復する姿はまっとうなものかどうか自信が持てなくなってるのであります。地震、自身、自信、同じ読み方だね。

2011年7月1日金曜日

続けようと言いながらも

ゆるくゆるく更新します。近況から。

引越しして、新しい職場に入って、一ヶ月が経ちました。慣れの問題は時間の問題なので心配していません。新しい街にも組織にもフィットするにはそれなりの時間と儀式が必要だと思っているので焦らずにやること。丁寧に信頼関係を作るフェーズであります。

同期の友人たちとお酒を飲みに行く機会もありまして、1対1の形式が多いです。同期との会話がめちゃくちゃ楽しい。刺激がある。くだらないことから真面目な仕事のまで、話題の拡がりがすごくて、私の頭の中の思考空間がグイグイと広げられていくような感じがします。

みんなそれなりに年を経て経験を積み、深みというか重みというか、いい感じの言葉がたくさん聞けます。ちょうど俺らってがんばる世代なんだよ。前を向いてクリエイティブに、やりたい!と思えることをやれる、もしくは、やるために邪魔な障害をどける力がついきた年頃なんだと思う。同期と面白いことやってやりたいな。

何かを売るだけじゃなくて、売れ続ける、利益が上がる、関わる人達が楽しみ続けられる、そんなサスティナブルな仕組みをつくりたいです。どうすか?ブレストから始めませんか?

2011年6月19日日曜日

弁当箱持って仕事に行きたい

秋田で会社務めをしていたときのお昼ごはんは原則お弁当。毎朝、母が用意してくれたおにぎり×2個。父、母、妹、3人分の弁当を毎日つくっている母にしてみたら、3人分も4人分も手間は一緒、というのだけれどなんとなくね。洗い物だって少ないほうがいいしさ。ご飯茶碗に納豆のネバネバを付けずに食べるのは親孝行、みたいなCMあったよね。

そこまで母親の家事負担を意識してたわけじゃないけれど、お昼食べ過ぎると眠くなってしまって午後の車の運転が怖いし、おにぎりの持ち運びやすくて荷物にならない感じが好きでした。ちょうど母親の手の大きさなんだよね、おにぎり。


東京に引っ越してきて、譲っていただけるということでまだガスコンロも冷蔵庫も自宅にはないけれど、お料理できる環境が整ったら会社に弁当を作って持って行きたいなーって思います。

節約したいのもあるし、何よりも、自分で食べたいものを自分の好きなように作って食べる、こんな幸せなことはないわ。自分ちの田んぼでとれたお米をベースにして、好きなモノを詰めるの。そこら辺で売っている650円くらいのお弁当よか全然うまい。


食べる基盤ができあがったら、暮らしている、って実感がより深まるのだろうと思います。

2011年6月16日木曜日

再開しようかと思います。

こんにちは。

秋田での生活に一旦区切りをつけて東京に戻ってきました。ただいま。久しぶりにあう友人や先輩たちはとても優しくて、やっぱり俺は素敵な人達に恵まれていたんだなと改めて感じています。

秋田で暮らしている間にブログをつけ始めたのは、昔好きだった映画をパクって。タバコ屋の主人が毎朝8時に店の前の同じ場所で写真を撮る。それをちょこっと真似てみようかと思ったのです。

映画の中のタバコ屋はブルックリンの辻角にあって、毎日たくさんの人が通って変化のある写真が撮れます。けれど、俺の店は変わってないぜ、みたいな。

秋田でやってみたら見事にかわりばえのない風景で、自動車や通学途中の高校生、白鳥やトンビ、飛行機雲くらいしか絵面に登場しなかったけれど、それがとても気におったわけであります。


変わらないものがあるんだ、変わらなくてもいいものがあるんだ、変化のスピードは緩やかであっていいんだ、ってことを撮りたかったのかもなんて思うわけであります。まー、後付ならなんぼでも理由付けられるね。


終了させるつもりでしたが、今まで以上につらつらと、好き勝手に、誰に見てもらうでもなく、頭の中にあることを文章にして自分自身と向きあうというカウンセリング行為として、ブログを再開しようと思ったのであります。

嬉しいことも楽しいことも、苦しいことも悲しいことも、全部書く。

2011年5月25日水曜日

定点観測

2007年11月29日からそれなりに続けてきた本ブログでありますが、東京での再就職することになり、引越しをするということで、秋田での定点観測も今日で終わりにしようと思います。

転職活動だったり、大好きだった祖父が亡くなったり、更新が滞りがちではありましたが、ささやかな想いを吐き出す場としてブログは自己カウンセリングしているようなそんな気持ちでした。

秋田の景色はそれはそれはとても美しく、大学進学まで過ごした18年間では気づけなかったことが本当にたくさんあったんだと実感する毎日でありました。この美しい風景が僕が生きている間、この血が未来に向かって繋がっていくうちは、ずっと美しい景色であって欲しいと心から願います。


3月11日の震災以後、特に大きな被害のなかった秋田であるのに“がんばろう東北”みたいなので一括りになっております。インフラが壊滅的打撃を受けていた間は秋田を経由して被災地に向かうなど、無事であるがゆえの強みを活かした活動ができておったのですが、各市町村ごとでの被災地支援は続いているもののあれ?秋田って何やってるんだっけ?みたいな状況であります。

東北という言葉で括られていることへの違和感をずっと感じています。中央の視線はそんなもんなのだろうなと感じています。歴史的に東北が背負ってきた負みたいなものを感じています。

確かに賃金水準やモノの豊富さという意味では大変苦しいことは間違いないですが、田畑を耕し、一生懸命に仕事をし、子供を育て、親の面倒を見、そうした至極当然のような幸せはずっと続いていたわけでして、貧困はあるかもしれないけれど貧しいとは思っていない。


そんな生活を東京でもできたらと思っています。心豊かに。

2011年4月10日日曜日

何をよりどころとするか

3月11日の東日本大震災からあっという間に一ヶ月がたつものの、まったく頭の中の整理がついていません。この先、どうなっちゃうんだろうっていう不安が先行していて、心の拠り所みたいなものをずっと探しています。家族、友人/知人、同僚、恋人、なにか話ができる人は周りに沢山いて言葉を交わすものの、それが自分の頭の中を言葉にしきれているか。すっきりしない感じが続いています。もどかしいなぁ。


4月8日にはまた大きな地震があって、私が住んでいる秋田県湯沢市では震度5弱。翌日まで12時間くらい停電となりました。仕事は復電まで自宅待機。本棚から落ちてしまった本を片付けながら、一冊の本をちらほら読み返したりした。



ノーベル物理学賞を受賞したルイス・アルヴァレスと地質学者のウォルター・アルヴァレスの父子が恐竜絶滅説に挑んだ内容、その仮説とその周辺で起こる激しい論争についての本。

詳細は読んでいただくか、松岡正剛さんの千夜千冊でのレビューを参考にしていただいて、この本に書かれているようなことが今後起きてゆくのだろうなと思ったのでした。


生物が大絶滅するという話ではなくて、アルヴァレス親子が投げかけた提案のあと脊椎動物古生物学、古微生物学、進化生物学、天文学、希金属化学、磁気学、統計学、地質年代学などなどなど。とにかく色んな議論が巻き起こるんです。結果、ほんとうに様々な分野での研究が進んで、新しい学問や視点が提出される。


大震災を受けて、これから本当にたくさんの議論が巻き起こるだろうと思います。災害対策、津波対策、建築、都市計画、都市機能の分散、農業、土壌改善、漁業、原発、代替エネルギー、経済のあり方、会社の在り方、政治や地方分権、ライフスタイルの見直し、価値観とかね。

そうした議論に僕らは無関心ではいられないし、むしろ積極的に関わっていかなくちゃいけないだろうと思っていて、たくさんの予備知識を身につけていかなくちゃいけない。自分で調べて勉強して自分の言葉で語る力が一層求められる。


世の中の複雑さに目を背けて無知でいることに安住しすぎたとい自分なりの反省もありまして、これから自分は何を軸に据えて勉強していこうかと思案しているところです。軸は一つじゃなくて複数が望ましい。

とりあえず、もっと東北地方と呼ばれる生活圏のことを知っておきたいと思っています。

2011年4月5日火曜日

どういう覚悟をするか

新しい年度も始まりましたが、私はというとPTSDなんじゃねーか?ってくらいに地震のニュースを見ては涙ぐみ、思いがけず混乱し、洋上で救助された犬と飼い主の再会場面を見ては号泣しています、はい。涙腺ゆるくなった。

どう足掻いてもしかたないので、一所懸命はたらいて、義援金を拠出するくらいしかないなー。


地震が起きてから帰宅難民となりかけた私を保護してくれた友人宅で福島第一原発の様子を見守りながらぼーっとナウシカのことを思い出してました。原作版の方。

私はもともとモノゴトを深刻に考えてしまうタチで、福島第一原発のおかげで自分や自分の子は祖父母のように長生きできないのかもしれない、うちの田んぼや畑ももう何も作れなくなってしまうのかも知れない、とかそういう事ばっか考えてしまった。

最後の最後にナウシカがしたような覚悟をしなきゃいけないんだな!とか勝手に思ったのでした。どんな未来があろうともここで生きる、みたいな。


2011年3月27日日曜日

小さな笑い

もう4月だというのにうちの周りにはまだまだたくさんの雪が残っていて、今年の田植えは遅くなるだろうと思います。短い育成期間できちんと育ってくれるかは夏の天候次第。最近は本当に異常だと思える気候続きでしてせめて今年はと願わずにはいられないです。


最近、休日はどうも眠くてしかたがなくて、すぐ昼寝してしまうし、そのまま夜まで寝てしまう。今日は昼寝したときの夢に福島原発のことが出てきて、大震災のストレスなのか、感じた何かが僕の心に蓄積されていることは確かだな、と感じたのであります。疲れているだけかも知れないけど。


昨日の土曜日は、月に一回くらいある土曜日出勤の日でして、・・・・・・・って、それ、今話すこと・・・・・?みたいな会議と、我が上司による“俺のキャパオーバしてるんだよっ!”というまさかのご自身の限界宣言と逆ギレにより心から疲れたのであります。相撲見てみろ、自分の限界を宣言するのは引退するときだけだろーが。こだまでしょうか、いいえ、絶望です。

今度から愚痴のことをこだまと言うことにする。


そんな土曜日の帰り道に買った、あらゐけいいちの“日常”というマンガがすばらしくくだらなくて、笑えて、安心したのでありました。表紙が全然日常じゃねぇw




さて、ささやかな僕の日常はこれからもずっと続いていくわけでありますが、今日読んだ、井上ひさしさんの「日本語教室」という本にそうだよな、と思うことがあったので以下にちょっとだけ引用します。


 何か大きな運命が迫ってきそうなんだけど、出口はない。ここでとにかく生きていかなければならない。そういう状況を僕は「ギリシア悲劇的宙づり状態」と言っているのですが、そういう状況を小さな笑いが壊してしまうことが実際にあります。
「いや、なんとか行けるよ、命まではとられないさ」というふうに、「笑い」は希望を持つ方向に人の気持を変える働きをします。(講談社新書 井上ひさし 「日本語教室」P151より引用)


つい身の回りのことと東北関東大震災のこを結びつけた思考をしてしまいがちで、とてつもなく大きな力で命までとられてしまったのだから、なんとかいけるよ、なんてとても言えない気もするけれど、小さな笑いと希望を見つけていくしかないのだよなぁと思ったのであります。

2011年3月21日月曜日

地震がおきてから

東日本大震災が起こった3月11日(金)、自分は東京は虎ノ門にあるビルにまさに入ろうとしてた時でして、階段で11階まであがって会議室に入ったものの、しばらく揺れは続き、なんどか会議室のテーブルの下にもぐったりしました。

2006年に完成したというビルは免震構造になっておりまして、揺れはするものの身の安全という意味では確保されておりました。


交通機関の麻痺でその後の予定は全てキャンセル。幸いなことに以前勤めていた会社の友人宅にお邪魔させていただくことになりまして、日曜日には無事に秋田に帰ることができたわけです。


それから10日ほど経ちまして、やれることをやるだけだと自分に言い聞かせながら、ガソリン不足で機動力は削がれてしまったけれど、普段通りに会社に行って仕事して、援助物資を供出したり、義援金を寄付したり。なんとか必死でまわすしかない。


微々たるものであっても、やれることをやっておかないと、この先の一生で後悔するんじゃないか?という恐怖心みたいなのがありまして、20代の半ばころから僕は、後悔しない、っていうのを行動原理としてきたのだから、この局面においても同じである。

つっても手持ちの牌を見ると打てる手はほとんどよわっちぃものなので、モノかカネとオモイをアウトプットするくらいなわけであります。


僕はこの先の人生において、東北の復興に捧げるといったら大げさだけれど、東北の被災された地域のこと、人々のことを絶対に忘れない。どこにいてもできることをやります。そういう気持ちで行くことを決めたのであります。

2011年3月7日月曜日

それぞれの局地戦を戦うということ

豊かなアウトプットは膨大なインプットから!ということで今年も引き続き本を読んでいます。1ヶ月くらいかけてじっくり時間をかけて一冊を読み終えたり、土曜日の午後に最後まで一気に読み終えたり、関連する本を数冊横断的に同時並行で読んだり。

の中小企業はどう生き抜いていくか?みたいなことを考えてたときに読んでたのがこちら。





弱者と強者にはそれぞれとりうる戦略のセオリーがある。弱者は差別化戦略を選択し、局地戦、接近戦、一騎打ち、夜討ちに持ち込む。ゲリラ戦みたいなイメージか。こちらのサイトが分かりやすくてくわしいです。

それを仕事でどう活かすかはまず置いて、

「局地戦」という言葉が気に入った。戦争だとかビジネスだけじゃなく、そもそも人生において人はそれぞれの局地戦を戦ってるようなもんじゃないかと思えてきた。勝てるところで戦う、負けちゃいけない一点を死守する。


ならば局地戦で戦いきれる力を身につけたほうがいいなと思ったしだい

ブログを移転しました

特に理由はないのだけれど、ブログ引越ししました。つっても内容もそのままインポートしたし、ブログサービスもbloggerのまま。もうちょっとこまめに更新していくつもり。


いままで通り気楽にゆるくやるつもりです。

2011年2月20日日曜日

大雪でして


2011年1月は僕が生まれてから初めて!というくらいの大雪が続きまして、普段本ブログ用の写真を撮っている場所からの景色が雪かきしたあとの雪に遮られまして、写真をとったら雪の壁、みたいな感じになっております。

だもんでしばらく定点観測用の写真はお休みをしています。


2月に入って、1ヶ月前の雪はなんだったのだろうか?というくらい落ち着いておりまして、一気に雪が融けはじめています。きっと冬の間に降るはずだった雪が1ヶ月にまとめて降ったのだろうね。

かまくらとか秋田の冬の小正月行事もひと通り終わって、このまま春になるのを待つだけだろうというところであります。


今年の目標にしておりました転職活動については引き続きがんばっています。今年中には絶対に帰る。

2011年1月2日日曜日

本年もよろしくお願いいたします

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

twitterとかfacebookとか、新たに自分の気持ちや考えを発信できる場を得て以来、ブログの更新が滞ってしまったのは反省であります。メインで使ってるgmalアカウントとブログ登録したときのgmailアカウントが違うんだよねー。

とはいえ、律儀にできるだけ同じポイントから写真を撮ってはおりまして、相変わらず代わり映えのしない風景だなと思いながらも、たぶん何十年と変わっていない風景なわけでして、僕が切り取っている数年で変化を捉えられるはずもなくあたりまえだよなと思ったりもします。


さて、去年の振り返りから。去年の年始に掲げた目標は以下の3つ。

①禁煙する
②転職する
③東京に戻る

①以外は未達であります。②が達成できたら自然と③も叶うわけでして、転職するという目標は今年も引き続きやっていきます。諦められない理由があるわけで、諦めるとか達成しないというのはありえない。

去年一年の手帳を読み返しながら、転職活動履歴を振り返ってみたのだが、面接まで漕ぎ着けたのは全部で7社。たった7社なのだよ。この会社で働けたらなっていうのもあったし、落ちたときはそれなりに凹んだけれど、失敗の数が全然少ないんだよなと思う。

今いるところで実績を積み上げていくことと自身のレベルアップをすること。両立できることだと思うし、諦めずにやっていきます。