2012年3月26日月曜日

ハッピーバースデイ 3.11

先のエントリーでも紹介したかながわ東日本大震災ボランティアステーションの被災地情報支援フォーラムでは、それぞれ現地で活動されている団体による活動報告やパネルディスカッションがあったわけですが、その中で紹介されていた動画がありまして、思わず泣きそうになったのであります。うちに帰ってきてから見返して泣いた;;




3月11日は沢山の方の命日でもあり誕生日でもあります。震災当日に生まれた新しい赤ちゃんもいて、その方々へのインタビューが本にまとめられています。

余震が続く中でがんばったお母さんと赤ちゃん、家族がいて、病院の先生や看護師さんたちがいたこと忘れてはいけないよなぁ。あんな悲劇があったあとで、新しい命が生まれたことを喜ぶ声をあげることができなかった、とか。。。全然知らないお母さんだし赤ちゃんだけど、祝福したい!いや、祝福させてください、ほんとに。


被災地情報支援フォーラムに参加してきました

かながわ東日本大震災ボランティアステーション主催のフォーラムでお話を聞いてきました。
http://ksvn.jp/news/event28293.html

2011年3月11日の大震災の直後から読んでいた「余震の中で新聞を作る」という題名のブログを綴っておられる河北新報社 編集委員・寺島英弥さんがいらっしゃって基調講演をされるとのことで行ってきました。

寺島さんが取材されて書かれた記事や写真を交えながら、そのエピソードを語ってくれました。「一本の記事や一枚の写真の枠の外に、語られていない被災された方々の声がまだまだ沢山うまっている。河北新報では、そうした人々を丁寧に何度も何度も取材して、いったい何が起きてしまったのかを明らかにしていきたい」とおっしゃっていたのが印象的であり、そうした活動をされている方々を尊敬するし、何か支援できることはないだろうかと考えるのであります。

大震災後の問題をいっそう複雑にしている福島第一原発での事故にも触れて、なぜ東北にはこれだけ沢山の原発があるのか、貧しさ故なのか、ならば何故貧しいのか。“敗者の土地であった”という言葉は東北をとらえるために重要な時間軸を与えてくれるように思います。


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一年前の地震のあと「自分にできることはなんだろうか」と悶々としたものの、特殊技能を持たない僕は「とにかく働いて義援金を送る」ということに決めて、自分がしたことは間違ってたと思わないけれど、“当事者”として“関与”したつもりになって、思考・行動停止してしまっていたのではないかと反省する気持ちもあって、きっとこの先の人生で消化し続けなくてはならない課題として引き受けていく覚悟だけもっている状態であります。


何か具体的な困りごとや心配事や課題があって、解決策を提案し実行していくことが大事ならば、できることがあると寺島さんのお話を伺って確信したことがあります。

被災地の方々は「風化と風評を恐れている」とおっしゃっていました。ならば、「風化させない、風評を流さない」ことに協力できると思うのであります。

あまねく広く確かなことを知る努力し、それを語り続けていくこと。友人や恋人、家族、いつか生まれてきてほしいなと思っている子供まで語り継いでいくことをやっていこうと決めたのであります。

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寺島さんがブログで綴ってきたことが本として出版されています。何度も何度も読み返そう。新しいのが出たら買い続けよう。

2012年3月4日日曜日

友人の赤ちゃんに会いに行こうシリーズ (1)

今年は自分も結婚することになったし、お子も欲しいなという思いとの距離もだいぶ縮まってきたことを実感している今日この頃であります。

さて、友人の赤ちゃんに会いに行こう、と称しまして、ずいぶんと会っていなかった友人達に、遅ればせながら東京復帰の報告をしたり近況を話し合ったり、世の行く末に語り合ったりしたいと思うのであります。

そんなシリーズ第1回目は、大学時代のサークルの友人夫妻に会いに行ってきましたよ。東横沿線の元住吉であります。

まず、地名が良いですね、元住吉。住むに吉し。駅前の住吉神社はまた別のところにでも会ったのだろうかと思います。神功皇后の三韓征伐神話にも登場し、海と戦の神であり、異境を想像させる神社です。郷土史とか読んだらすっごく面白そう。


旦那さんとは勤め先が近いこともありちょこっと前に田町でお酒を飲んだことがあるのだけれど、奥さんとは、旦那さんの仕事の都合で大阪にいた頃に遊びに行って以来。


なんとゆうか、二人がお子に接する距離感というか慈しむような優しさが伝わってきてそれはそれは幸せな気分になったのでありました。悠太くんよ、元気に育つのだぞー。