2012年8月29日水曜日

大好きな喫茶店に行ってきましたよ

秋田県は美郷町、湧水で有名な六郷にゴマシオキッチンというとっても素敵な喫茶店がありまして、秋田にいる頃から大好きで、また上京してからも帰省のたびに立ち寄らせてもらっていました。

ゴマシオキッチンさん
http://gomashio-kitchen.net/

秋田県内情報誌かなんかで見つけて行ってみたんですけど、お店の前に掲げてあった黒板に「コーヒーと恋愛がともにあればいい」なんてサニーデイサービスの歌詞が書いてあってここは間違いないなと確信したのでありました。


先週末に大曲花火大会を観覧しに秋田に帰省した際に、奥さんと一緒にお邪魔してマスターといろいろとおしゃべりしてきました。僕の奥さんもゴマシオさんのファンであります。

そのとき、マスターが重要な指摘を2つしたので忘れないようメモしておこうかと思います。

1つは、「マスター手書きのコースターが卑猥です」みたいな話を私の奥さんがしたとき。
(下の画像参照のこと)



「たいていの女の子は卑猥なことよろこびます」みたいなことゆってて、あー、この人は本当に楽しい人だww と思ったのであります。いやほんと、真理。


もう1つは、常連さんがとてもいい人たちばっかりでとても素敵ですね、なんて話をしていた時なのだけど、マスターが

「言葉は悪いかもしれないけれど、本当によくきてくれる常連さんはどこかガラクタみたいなところがあるんです」みたいなことをゆっていて、確かに私もガラクタだわー(笑)、なんてめちゃくちゃ笑ったんだけど、あとあと、とてもすごいことをおっしゃっている、と思ったのであります。

これはですね、カルロ・ギンズブルグが指摘したような「欠けている物語の主」みたいなことと通じる話だと思ったんですね。
(参考)http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0056.html

物語の主人公や英雄はどこか欠けている。すでに傷を負っていたり、めちゃくちゃ強いけど決定的な弱点を持っていたり。けれども、欠けていることが主人公として語られるための条件である、みたいな。童話とか神話とか物語を思い返してみると確かにそう。桃から生まれてみたり、身長が一寸しかなかったり、じいさんにこぶがついていたり、アキレス腱が弱点だったり、隻眼・隻腕だったり、どこか不完全。


物語の主人公ではないけれど、六郷にある喫茶店はそんなガラクタみたいな人たちが心地がよくて集まるところなのだろうと思われます。

喫茶店のマスターと僕は年齢が一緒で、常連さんもその近辺の世代が多いと聞きましたけども、それなりに生きてきたので心や体に何らかの瑕疵を持っていて、抱えていたり乗り越えたりしていて、

それでも、まだまだ一人前にはほど遠いことを自覚せざるを得ない狭間にいる世代なのでしょう30歳前後って。そして、それなりに自分の弱さだとか負の部分と向き合ってきたことがある素直で弱くて強い人たちでもあると想像するのであります。


僕がゴマシオキッチンさんに魅かれる理由はもうちょっと単純で、いつかの昔に、こんな風なことできたらいいなーって夢想したことを実現してらっしゃって、ちょっとうらやましいし、何よりもコーヒーがおいしい。


2012年8月19日日曜日

別れ際について

長い長いお盆休みをいただいていたのですけれども、その期間中、小学校からの友人のお父様が亡くなられた。具合が悪くて入院している、とは聞いていたのだけれど、まさか。。。という報せであった。

友人とは部活が一緒だったことや、大学生時代に家が近かったこともあり、10代から20代にかけての境目の時代に一番多くの時間を共有した友人と言えると思う。

仕事で参列できない父に代わって火葬にいっていきた。大学を卒業してからは疎遠になっていたのだけれど、何年ぶりかの友人との再会がまさか火葬場とは思ってもみなかった。

友人は、父危篤の報を受け、急ぎ東京から秋田の病院に駆けつけ、病院の中をダッシュして父の死に目に間に合った。

一方、彼が病院内を走っていた頃、ベッドを取り囲む親族の方々が「すぐそこまできているから、どうかまだいかないで!!!」と叫んでいた。いったん止まりかけた心臓が最後の力を振り絞って息子が到着するまで動いたのだそうだ。

父や母に代わって、どうか穏やかに休んでくださいと手を合わせてきました。


亡くなられたお父様はご出身は山口県で、秋田に婿にこられた。生まれ育った土地からはなれた場所で死ぬという気持ちはどんなのだろうかとか、考え込んだ。

2012年8月13日月曜日

帰省中です

入籍してから初の秋田帰省。長めのお盆休みをもらいました。「奥さんは一緒じゃないの?」って言われるんですけど、月末に奥さんとご両親を大曲花火大会に招待していてるのでその機会に。

今日13日はお土産を持って、近所の親戚のうちに挨拶回りしてきました。


私のお食い初めをしてくれたおばあちゃんがお休みになっている仏壇でご挨拶と結婚の報告。ついで私のうちの本家、父方の祖父の実家の仏壇にご挨拶と報告。最後は夕方に母方・父方の祖父の墓参り。

改めて自分の祖父やご先祖様をとても身近に感じているのであります。結婚してからの心の変化であろうと思います。自分が、人々の歴史に接続されたような感覚です。大切な時間を積み立てていけたらと思っています。


突然話はかわるんですけど、スリッパって左右がないじゃないですか、靴と違って。でも、履いているうちになんとなく足に馴染んできて、こっちは右足だな、間違えて履いちゃったな、とか分かるようになると思うんですよ。

で、今日、墓参りでばあちゃんちに行った時に用を足そうとトイレ用スリッパを履いたら、あれ左右違うなって思ったんですよね。昨日ばあちゃんちに行ったときは間違いなく左右がそろっていたから変化に気づく訳です。ばあちゃんは一人暮らしだし、男性用小便器を使う分けないし来客もないし。

けど、きっと誰かが使った時に左右がいれこになっちゃった。たぶん、迎え火を焚く前にじいちゃんがフライング気味に家にやってきてスリッパ使っちゃったんだね。脱いだ時にそろえなかったからいれこになっちゃった。

よくよく考えたらお盆だし当たり前のことだよね。


どうか、僕らの大切な家族が元気で生きていけますように。じいちゃんもたまには北鎌倉に遊びにきてください。